「演劇を、はじめます。」
ドラハ的 演劇事典
第2回本公演『阿佐ヶ谷に死す』
に、関係あるような、ないような
- 1演劇
- 観客を前に、俳優が舞台で身ぶりや台詞で物語や人物などを形象化し、演じて見せる芸術。舞台装置・照明・音楽など視覚・聴覚上の効果を伴う総合芸術。芝居。劇。
正確な起源は分かっていないが、紀元前5世紀頃の古代ギリシアでは既に巨大劇場で演じられるギリシア悲劇が確立されている。
- 2アングラ演劇
- 1960年代中期から1970年代前半にかけて全盛期を迎えた舞台表現の潮流。「小劇場第一世代」とも呼ばれる『天井桟敷』や『状況劇場』はその後の日本演劇に大きな影響を与えた。
「演劇かくあるべきという表現の形を壊した」「実験的な発想に基づく舞台」「ときに荒々しく暴力的」「理解しがたい物語」が特徴。
- 3天井桟敷
- 1967年、寺山修司を中心に結成されたアングラ劇団。「演劇実験室」を標榜した前衛演劇グループで、日本アングラ演劇における代表的な劇団。1983年7月に解散。(5月に寺山死去)
同年、元天井桟敷劇団員33名により『演劇実験室◎万有引力』が旗揚げ。2025現在も実質の後継団体として活動中。
- 4状況劇場
- 1964年、唐十郎らが前年旗揚げした「シチュエーションの会」から改名する形で誕生。
野外に紅テントを建てて演劇を上演するスタイルは1967年から。
1988年に解散、中心人物の唐十郎は同年『唐組』を結成。紅テントは唐十郎が死去(2024年)した今なお引き継がれている。
- 5早稲田小劇場
- 1966年、脱新劇を目指し、鈴木忠志を中心として結成。早稲田大学近くの喫茶店「モンシェリ」2階に同名の劇場をかまえ、小劇場運動の旗手として活躍。1976年、活動の拠点を富山県利賀村(現南砺市)に移し、「SCOT」に改名。
- 6小劇場第一世代
- 寺山修司、唐十郎、蜷川幸雄など。俗にいうアングラ演劇。
反新劇闘争、リアリズム演劇破壊運動の色合いが濃く、思想性や実践性が強いのが特徴。
- 7第二世代
- 1966年、脱新劇を目指し、鈴木忠志を中心として結成。早稲田大学近くの喫茶店「モンシェリ」2階に同名の劇場をかまえ、小劇場運動の旗手として活躍。1976年、活動の拠点を富山県利賀村(現南砺市)に移し、「SCOT」に改名。
- 8第三世代
- 1980年代、「言葉遊び」や「時間・空間を超越する技法」などのコンセプトが取り入れられ、演劇そのものに対する変化が生じる。
野田秀樹(夢の遊眠社)、鴻上尚史(第三舞台)、横内謙介(善人会議)など
- 9寺山修司
- 前衛演劇グループ「天井桟敷」主宰。
俳人、歌人として若くから注目を浴び文壇デビュー。その後、戯曲、詩、作詞、映画、脚本、評論、翻訳と、多岐にわたる分野で活躍。
- 10寺山修司と阿佐ヶ谷
- 1975年、杉並区一帯を劇場に見立てた30時間市街劇『ノック』を敢行。
銭湯や空き地、普通の住宅、区役所など、指定された場所で同時多発的に演劇を始めるというもので、観劇者にはチケットの代わりに地図が配られる。上演中に市民からの苦情が多数寄せられ、警察が介入する騒動となった。
1983年、阿佐ヶ谷の河北総合病院に入院中に死去。葬儀委員長を詩人の谷川俊太郎が務めた(谷川もまた南阿佐谷に住んでいた)。
- 11阿佐ヶ谷と演劇
- ・月蝕歌劇団・・1985年、寺山修司の取材、出版スタッフとして創作活動を支えていた高取英が、寺山のすすめで劇団創立。女性中心のキャストでスーパーアングラにこだわった舞台を上演し続ける、「暗黒の宝塚」。1999年、ザムザ阿佐谷の杮落し公演を務める。2021年より活動休止、充電期間に入る。
・阿佐ヶ谷スパイダーズ・・1996年、早稲田大学在学中だった長塚圭史を中心に結成。創設時より「演劇プロデュース・ユニット」として活動していたが、2017年より「劇団」となる。ユニット名の由来は、結成時の音響スタッフの家が阿佐ヶ谷にあったことから。・・・もしかして阿佐谷そんなに関係ない・・・??
・阿佐ヶ谷姉妹・・「阿佐ヶ谷姉妹」結成前、そもそもの二人の出会いは、劇団東京乾電池の研究所である。
・南極・・今をときめく小劇場界の雄、ドラハも皆大好き★南極(旧・南極ゴジラ)。昨年法人化のニュースも記憶に新しいが、会社所在地が阿佐ヶ谷。ドラハの皆で阿佐ヶ谷散策した折には、南極の皆々様と次々にすれ違いテンション爆上がりしていた我々であった。
- 12阿佐ヶ谷と劇場
- 阿佐ヶ谷には「ザムザ阿佐谷」をはじめ、阿佐ヶ谷アルシェ、阿佐ヶ谷アートスペースプロット、ひつじ座、そしてシアターシャインと、駅徒歩15分圏内に5つの劇場がひしめきあう。因みに「阿佐ヶ谷家劇場」はライブハウス。
本公演の舞台となる『シアターシャイン』は2005年に開館した劇場、天井高5メートルの舞台が特徴。